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喉が痛い

これは風邪なのだろうか・・・。喉が痛いというより喉に違和感があるのです。ずっと飲み込めない何かがつっかえてる感じ。悪い病気だったらどうしよう・・・とかぐるぐるぐるぐる考えてしまう。早く病院に行ったらいいんですけど、生憎明日もバイト。明後日は大学にいかないといけない。相変わらず肩もこってますが、一時よりましに。石のように硬かったのが嘘のようにやわらかくなってます。風邪を引いたら肩がこると後輩に言われ、そういうものかと思ったり。もしかしてインフルエンザ?関節痛?とも思うけど別に熱は出てないし、おっちょこちょいはいつものこと。喉の違和感だけがやるせない。なんにもやる気になれない。健康第一。

と、いいつつも篆刻仕上げてきました。微妙ですが、時間がないのでOKということにしました。お別れ会のときに先生にプレゼントするのです。早く色紙を買ってこないといけません。少し珍しい呉昌碩の模刻に挑戦したのですが、模刻どころか字句をもらっただけ。大きさも字も全然似ても似つかない。あんな風には彫れません・・・さすが呉昌碩!!

はやく体が本調子にもどってくれないとしんどいなぁ。と思う今日この頃でした。友達が新しいパソコンを買ったらしい・・・うらやましいなぁ。最近のはノートパソコンでもかなり色々できるみたいだし。でもメガくん(myパソ名)を愛してるよ!!苦笑

●Web拍手ありがとうございますm(__)m
>Aさま
コメントありがとうございます。大変お忙しそうですね。決してご無理なさいませんよう。私もまた遊びにいかせていただきますね♪花散里、気に入っていただけてとってもうれしいです(*^_^*)
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妖術師?清盛の巻

今日も楽しく大河鑑賞。いよいよ義経@タッキーが奥州に向かうということで、ドラマは慌しく(結構ゆっくりしていたような気もするが)進行。

私が今回一番受けたのは清盛が瞬間移動したときでした。己は妖術師か?!義経一瞬しか目伏せてないじゃん!と。ていうか平家の長として義経を奥州にいかせていいのか?私ならそれはちょっと待ったするけどなぁ。あんな近くにいてさ。苦笑 そして清盛の温もりをかみ締める義経。親父を超えていけ☆って感じでしょうか。

後白河さんが出るたびにいい味出してるなぁ~と言わずにいれない。「誰が入道に言うのか?」・・・ごもっとも。清盛とも摂関家とも上手くやっていかないといけない雅仁さん・・・。お公家さんたち本当にあんな(馬鹿な)進言するんでしょうか?そんなの分かりきってるのにぃ。

重盛さん・・・カッコいいです。素敵です。しぶいよ~!!今回今まで一番オーラを感じました。このくらいすごみがなくちゃあねぇ。温厚っていうより一番熱く描かれてるなぁ。

でも、実は頼朝と政子が気になって仕方ない・・・私だったり。佐殿の発言は毎回ポイント付いてますね。冷静な判断のできる何を考えているのか表面上出さない男が私は好きです←おい!実は一番知的な感じがしてるんですが・・・どうでしょ?

肩こり・・・だと思っていたら首がこってるんじゃない?って言われた。とにかく硬い。何か肩こりにいいことってないんでしょうか?パソコンやめないと無理?(^_^;)

●Web拍手ありがとうございますm(__)m

もしかして、もしかしなくても、もしかすると・・・

4万ヒットが近いのですが、もしかすると今回は何もできないかもしれません。本気で肩こりがひどい。その上やらなきゃならないことがリアル生活の中で結構あって・・・。引越しの準備もそろそろ本気で考えないといけないし。イラストのネタはあってもすごく手間がかかるのが目に見える作品なので、中途半端に出したくない。・・・カウンターがなぜか最近本当によく回ってくれて。もし4万ヒットした瞬間、記念企画が出来なくても、4万ヒット記念企画は別に開催したいと思います。すいません(^_^;)お許しあれ。

今日は篆刻をほぼ彫ってきました。李白の漢詩の一節なんですけど、ちょっと勢い余って随分予定の文字からはみ出てしまった・・・肩こりも不調の原因。しかたない。

さて。明日はバイトなので今日は早めに就寝します。絶対また肩こるんだよな・・・遠い目。しかも明日は全然知らない人と一日一緒だ。気合入れて行くぞ!!

肩こり

が治りません。肩がぽきぽきいう。髪を伸ばし始めてからのような気がしてますが。(平安女性の苦労が偲ばれる)今日はコピー用紙を買いに行くため外に出たかったのですが、ざぁざぁぶりの雨を見て急遽予定変更。明日は外に出るしまぁ明日でもいっかぁ・・・と。

で、明日は後輩と篆刻彫る予定だったんだけど、後輩が胃炎でダウンしてしまった・・・。胃炎?!!いったい彼女の身に何が?京都連れ回した疲労?苦笑 ごめんなさいm(__)m

でも、明日は一人でも大学行く。篆刻したいし。一昨日に字入れしたのだけど、模刻といってもかなり難しい字でした。五文字彫るのは初めてなのでうまくいくか心配。大きさ的にはこの前作ったやつのほうが全然大きいんだけど・・・大小で難しさが変わるとはあんまり思わないし。めちゃくちゃ大きかったら難しいだろうけど。しかし・・・また肩がこりそうだ。苦笑

●Web拍手ありがとうございますm(__)m

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びっくりしたぁぁぁぁ

今日朝起きてネットに繋ごうとしたら繋がらなかった。サイトに繋がらなくなる事は間々あれど、ネットに繋がらなくなったのは初めてだったのでびっくりした。そういえばサーバを新しいものにかえるから設定を変更せよとの連絡が来ていたような来ていなかったような・・・。なんとか今繋がってますけど死ぬかと思いました。いろいろ途中で遣り残していることがあるのにこのまま一ヶ月ネット繋がらなかったらどうなるんだよ!!と。

引越しして二週間くらいはネットできないかもしれないなぁ。何せ田舎だから、yahooくらいしかまともにブロードバンドできないんじゃなかろうか。いろいろ設定の変更もしないといけないし、これまた一苦労だ。とは言っても今まで全部自分でやってきてるからそれなりに頑張るでしょう。

問題は・・・壊れたプリンターをどうするか。うむ。やっぱり新しいの買おうかなぁ。こうなったら、電話・FAX・スキャナ・コピーと一緒になってる複合機にしようか思案中。実家の電話はすでにやばい。とんでもなく古い。かろうじてボタンが付いている感じ。私の小さいときは緑の番号を指で回す電話だった。なんで緑だったんだろう。結構珍しいような・・・。それはまた帰ってから母上に相談しよう。FAXに異様な憧れを持っているうちの母。おそらく賛成すること間違いなし☆

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激務・・・かも

急遽二日連続でバイトに入ることになりまして、肩こりがひどいです。明日は書道展を見に京都文化博物館に行く予定。京都橘女子大の書道展です。こんなところで展覧会できるなんてなんて羨ましい。さすが京都!で、都路里とJRにある伊勢丹のぴょん屋に行こうと計画中。あとラーメン街道も行きたいな。全国のおいしいラーメン集合してるデパート内の街道。

あ。そうそう。女子十二楽坊の新しいアルバム「敦煌」お聴きになりました?すごくいいですよ。シルクロードを思わせる楽曲。その中に冬のソナタのテーマソングとORANGE RANGEの「花」なんかも聴けて。しかも、LOVERSで最後に流れてた曲も収録されてたのでびっくりしました。ずっと聴いても飽きない一枚です(*^_^*)

疲れた・・・( ̄^ ̄)

サイト内を色々整理しております。まだ半分にも満たないです。もう一年前に書いたコメントが阿呆すぎて、顔から火を噴かんばかりなのでいろいろ撤去しました。特にイラストコーナーは半分くらいになったかもしれません。リンクコーナーもできるだけ新しいバナーを各サイトさまにお邪魔していただいてまいりました。何か不備ありました遠慮なく突っ込んでください。

Web拍手も変えたいけどちょっと力尽き・・・た。でも他にも源氏のコーナーとか50・100質の類とかやらなきゃいけないことは多い。はぁぁぁぁ。とんでもなくお馬鹿だったのね。自分。って今もだけどさ。泣

イラストコーナーに一枚UPしました。恬子内親王と業平さま☆彡黄金悲恋カップル?です。訳もしたのでちょっと疲れた。でもほとんど自分でできるようになってますわ・・・遠い目。伊勢は比較的簡単なのかな。訳しててそのように感じましたがいかが?

後、掲示板書き込みの注意とかはじめにとか随分書き直しました。分かりやすくなってるといいのですが。掲示板は入る前に注意のページをリンクしてもいいのですが、うちのサイトは常連さまが書き込んでくださることが多いので煩わしかろうということでやはりそのままにしております。もし気になる常連さまいらっしゃいましたらコチラからご一読ください。掲示板の一番上、又はじめにからも入れます。

●Web拍手ありがとうございます。
>2月16日、12時ごろにメッセージ下さった方へ
自己設定では光源氏に優しい言葉をかけられてうれしそうに応える花散里というイメージで描いたので『殿』なんですけど、深い意味はないです。笑・・・確かになぜ殿?ですよね(^_^;)斉信にもお気遣いくださってありがとうございましたm(__)mこれからもよろしくお願いします~。

●うめぞーさまへ
書き込みありがとうございます。ほんとうめぞーさまの意見にはなるほどと思わされます。今日はちょっと疲れたのでまた明日お返事しますね。すいません(^_^;)

袴レンタル

に行ってきました。めんどくさい。というよりレンタルたっかー!!!っていうのが本音←おい。怖いな。たった二時間くらいのために。笑 でも、写真も撮る事にしました。まだ予約してないから明日してこないといけないけど。

本当は行く前に白とピンクの超ラヴリーな柄にしようと(色々迷った・・・色々悩んだ・・・でも白好きvvv)張り切っていってみたら・・・似合わないんですよね。涙 そんな可愛いキャラじゃないんです。背も高いしどっちかいうと凛々しいし?目はでかいし鼻は高いし・・・。平安に行ったらやばいですね。はぁ。つまるところ現代人な顔なんだろうなぁ・・・。髪も真っ黒じゃなくて地毛で赤みがかってるし。

けどね・・・赤が似合うんです。そんな予感はしてた。昔から大好きなピンクのスカートを選ぶと親に赤を買われたものです。そう。私は赤が似合うんだよ。でも原色は苦手なので実際服は白とか淡いピンクが多い。着物は洋服とは全然違いますね。他に色々着てみたんですけど、もう一回コレって思うとダメな性格なので、途中で「これ以上着ても無駄だと思います。多分あれ以上似合うと思うものが他にないから・・・」と言って結局すんなり決めてきました。でも、袴なんて巫女のバイト以来?すっごい久々なので楽しみ!になってきた。

ハウル、実は二巻も読み終えました。笑 いや、止まらなくなっちゃって・・・。一巻よりも二巻のほうが面白かったなぁ。私は。下にネタバレを含む感想を書くので、読みたくない方はクリックしないでくださいね。(一応白で書いておくので大丈夫だと思うのですが)

あ。そうそう。今日帰りに本屋で購入した本。伊勢物語、土佐日記、竹取物語。全部角川の文庫です。安かったので。土佐日記ってこんなに短いのか。最近、現代語訳より原文の方が読みやすい気がするのは気のせい?・・・でありたい。笑 なんだが現代文読めないみたいじゃん(^_^;)

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やっぱり平安最高!!

と、今日は思ってしまった・・・。勉強って楽しい。新しいことを知ると胸が高鳴ってしまう。平安馬鹿なんだわ。自分。・・・改めて自覚。ここ一週間の映画での胸のときめきを、たった小一時間で満たしてくれた。いや、それ以上かも。・・・。まぁ、それはそれとしてしっかり胸に受け止めよう。笑

昨日ハウル読み終えました。今日続編買って来ました。疲れたのでまた明日感想書きます。

そうそう。昨日は夜中にメトロポリスやってたので思わず見てしまった。(手塚治虫のアニメ映画)日本のアニメもここまできたか・・・という感じで。いろいろ考えさせられますね。あれはロボットと人間の戦争だけど、結局人種が違うことが原因で理解しあえない現実を表しているのかと思ったり。

とりあえず疲れたのでお風呂入って、タッキー義経見れたら見よう。

映画を見よう!

20050212020107.png

↑他サイト様で描かせていただいたマルクル

昨日は結局あれから朝まで映画見ました。スパイダーマン見たことないと豪語していたくせに、私は絶対見たことあった・・・。すっごいデジャヴュを感じたけど前に見たことあったからだった・・・。いつ見たのか記憶にすらない。ごめんN美さま。見たことありました(^_^;)

スパイダーマンは明らかに3が出る終わり方で・・・。実はN美氏おススメ映画だったのですが、私の心にはあまり響かなかったとです。いろいろ理由はありますが、人間の正義ってそんなに単純じゃないでしょ?っていうのが一番の理由かなぁ。2は話の展開が見え見えだったのがさらに・・・。1は結構好きな話なんですけどねぇ。ひっぱならない方がよかったんじゃないのかなぁってちょっと思っちゃいます。

今回、私はLOVERSのほうがよかったです。騙されっぱなしでしたけどね。笑 最後みんな散ってしまえばよかったのに微妙な所で終わったような気もします。でも、話としてはよくまとまってたのでよかったです。あと映像美がすごい。ツァン・ツィーはやばいね。(花王のシャンプーASIANCEのCMの人)ただでさえ美しいのに強い。あの美しい戦闘シーンは中国ならではというか。ネタバレになるので書きませんが、歴史映画っていうよりは恋愛映画です。でも華やかな唐の香りが漂ってます。

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映画三昧

いやはや・・・またやばい感じです。四年に一回くらいくるこの映画三昧の日々。朝から晩まで映画見てしまう・・・。昨日は外大の友人と梅田でターミナル見た後に二回目のハウルを鑑賞。

■ターミナル
マイ愛しのトム・ハンクスさまが主演でございます。はい。私はハンクスの大ファン。彼の映画はユーモアで楽しい。しかも愛や友情なんかもしっかり描かれてる(作品が多いように思います・・・。多分←おい)

今回はのっけからびっくりさせられました。ハンクスは英語がしゃべれない設定なんですよ。本当に分からないように演技してるのが信じられない。それは見事な演技でした。結局9ヶ月間ある約束を果たすために空港に留められるんですが、(祖国が滅亡してしまって帰る国もなかったし、アメリカに入国もできなかった)その間に仕事も空港内で見つけ、恋もして、人のことを助け
人間の生活の上で必要なことをみんな空港の中でやっちゃうんですよ。出来る人間はどこでだって生きていけるんだって思いました。(まぁ上手くいきすぎなとこもありますよ。映画だから。笑)

後、日本人って愛国心が薄いって言われますし、祖国について深く考えたことがある人は若い人にはあんまりいないのかもしれませんが、この映画を見て、帰れる国があることの幸せ自国を名乗ることができる幸せっていうのをひしひしと感じました。帰れる国がないっていうのはもう感情にならないくらい辛いです。少なくとも私は嫌だなぁ~って思いました。

普段考えない・・・思いもつかない世界が見える。見せてくれるし考えさせられる映画だと思いました。私はおススメします。話の展開もどんどん回転するので見てて飽きないですよ。

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必殺!仕事人☆

友達がパーマをあてたら京本政樹に似ていたといって大爆笑したのがつい先日。その時彼が必殺仕事人のテーマ曲を作っていると知った。今日快傑えみちゃんねるを見てたらまさにその事が話題になってて吹き出してしまった。しかもまた似てたんだよ・・・。あのくるっとヘアーと友達の髪型が。京本政樹のギターからは日本刀が出てくるらしいし・・・。どうなってるのよ?ホント。なんでそんな笑えるネタなのよ。今度友達に会ったらどんな顔しろって言うのよ。←普通でいいから。笑

イラスト、実は完成してるんですが、UPにはもう少しかかりそうです。すいません。実はもう一枚取りかかってます。これも卒論中に下絵を考えてたやつです。はい。実はそういうのがたくさんあります。どこまで本当にイラストにできるか分かりませんが。

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サイト三周年

を超えました←おい 半ば半年ぐらい休んでいたことがあるので、○周年企画ってやったことないですね。そして今回も・・・苦笑 ちょうどタイミングがいつも悪い。忙しい時にくるんだもん。ま。その分一万ごとのヒットに記念企画をなんとか今までやれてこれてるので、今回も四万ヒットの時にガンバルッス!!

といいますか・・・もうそんなの考えないといけないんですか?笑 何も更新してなかったのにくるくるとカウンターが回っておりましたようで。ありがたやありがたや。今回はどうしましょうか。前回は三万にちなんで(?)三枚イラスト作りましたが・・・今回は無理だろ~な。ま。何か一枚くらいは作りたいです。漫画描くソフトダウンロードしてみたけど、やっぱり解説本がないと私には手に余ります。(というか無理)そのうち勉強します。・・・多分。もしこの話のこの場面のイラスト見たいとかありましたら掲示板かメールなんかでお知らせください。ただ・・・実家に帰ると本がないので平安文学有名所か知ってる和歌ぐらいしかカバーできなくなると思います(^_^;)

そうそう。web拍手の画像入れ替えました。ちょっとだけ。そこの一言フォームからリクエスト送ってくださってもOKです。リクエストなかったら・・・多分枕草子。笑 ネタが一つあるのでそのままいくと思います。

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久々に

今日は大学のガイダンスの日だった・・・らしい(^_^;)いや、まじで知りませんでした。ちょっと自分でもびっくり。といっても行かなくてもそんな支障ないんですが、成績が返ってきてたのでちょっと気になってて。どうやら悲しくも(?)思いっきり卒業できてしまうようです。(私的にはまだまだ勉強したいのだ・・・)あ。でも、好きな授業の点数がよかったのでうれしかったです。卒論のせいで全然勉強してなかったので、ちょっと漢文が笑っちゃう点数でしたが・・・って結構できたと思ったんだけどなぁ。世の中甘くない(ーー;)

とりあえず成績表を友人から受け取って食事に行きました。このメンバーで会うのは実に一年ぶりぐらい。私は本当に自分の好きな道を選んだので、コースとゼミが私だけ友人と別々になってしまってほとんど大学で会わなかったんですよね。ま。そこで新しい友人もできたのですが、今日会ったのは入学したときからの友人だったんです。

本当に久々に話したのですが、ちょっと四年間を振り返ろうみたいになって出会いから振り返ってました。妙に懐かしくてもう随分昔のことみたいでした。思わぬところで皆に会えてよかったです。

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ハウルの動く城

見てきました~。昨晩ハウルの動く城を。もうず~っとず~っと見たかったので念願かなったりでございました。

なんかね、私は好きだったよ。大好きだよ。この話。一緒に行った後輩もいいと言っていた。なんだろう…ネットでは賛否両論だったのであまり期待せずに行ったんですけど。映画は期待して行くと外れることが多いから。

まず主人公のキャラクターが非常に好み…だったんすよ。あの前向きな所とか妙にしっかりしてるところ。ハウルのキャラも面白かったけど、キムタクの声が素敵でした。囁くような喋り方が好きです。マルクルの変身姿(本人魔法と言ってたが)も妙にツボ。可愛かったです。ほかにもたくさん書きたいですが、まだ見てらっしゃらない方もいるかと思うので控えておきます。

好き嫌いはあると思う映画です。ファンタジーだから仕方ない。私はずっとドキドキしっぱなしだった。笑とりあえず一度見てみるのもいいのではないかと。

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中々進みませぬ

今、卒論中から進めてた(笑)イラストを一枚UPしようと塗りに入ったところなのですが、中々進みません。それというのも背景を全部自分で描いてみようと無謀なことしたからなんですが・・・やっぱり写真使うより倍は時間がかかります。うぬぅぅぅ。

それと、ずっと気になってた漫画をパソコンで描くソフト。ダウンロードしてちょっと試しに使ってみたら・・・すごいです。本当にGペンとか丸ペンとかの書き味に近い。(っていってもそんなに使ったことないが)ぜひぜひ興味のある方は↓から行ってみてください。
http://www.celsys.co.jp/comicstudio/index.asp

大河ドラマの雅仁さん(後白河)にハマってます。清盛との絡みが絶妙です。天然なのかわざとなのか毎回雅仁さんの発言にドキドキします。あと、タッキーが思ってたよりハマってたのでよかった。笑 しかし・・・あの時代は本当に着てるもので身分も何もバレバレだな。あんな格好してたら誰だっていいとこの坊っちゃんってわかるよ。来週は早くも静登場vvv楽しみだぁ~。(弁慶についてのコメントは?笑)

部屋の片付けが一向に進みません。やる気なし←おいでももうすぐします。帰らないといけないし。明日は書道の日。多分日暮れまで書き込みます。久々なのですごく楽しみです。

なんとか移行完了

あぁ・・・。疲れた。今までたまってたサイト内の整理。本当はもっとガラッと変えたいんですが、気力も体力も追いつきません。もう年です。すいません←おい

とりあえず、古典つれづれと日記を統合しました。プラスいただきものコーナーを少し更新。年賀状もやりたかったけど力尽きた(ーー;)

卒論を終えて思ったこと(というか前々から思ってたけど)は、自分が分かっても相手に伝えるのは難しいってこと。特に口じゃなくて文字を通してってなると本当に難しい。自分が当然そうあるべきだと思っていることは、意外に人はそう思ってないことのほうが多い。これは資料だけに限らず、多分人間関係全部に関わるよね。

自分の気持ちをできるだけ分かりやすく言葉にすること。相手の気持ちをできるだけ理解しようと務めることこれが出来る人になることは密かな自分の目標です。

ということで(?)文字のページが読みやすくなるようにちょこちょこ動かすと思いますが、ほとんど内容は変わってないので気にしないでください。内容が変わったら更新記録にちゃんと書きますし。また、お世話になってるサイトさまにはご挨拶に伺いますので気長に待っててくださいませ。

ではでは、これからも『草の庵』とモモをよろしくお願いします☆彡

元号・時間・方角

 元号の問題については、不明瞭な点も多く、現代に残されている資料から当時どう読まれていたかを判断するのは非常に難しい問題であるが、平安時代の「寛平」という年号について考察してみたいと思う。

 現在、「寛平」という年号は「かんぴょう」とルビをふられるのが普通になっており、『歴代天皇・年号事典』にも、「かんぴょう」と書かれ、補足のように「かんぺい」とも読むと記されている。しかし、「平」という字の「ヒョウ」という発音は、呉音である。平安時代の初め、現在で言うところの大学や大学院に当る大学寮では、国の法律で奈良時代まで使われていた呉音を漢音に改めて使うことが決められた。つまり、平安時代に考えられたこの元号を「かんぴょう」と読んでいた人間はおらず、皆「かんぺい(もしくはかんへいかもしれないが)」と読んでいたことになる。その証拠に、様々な書物を引用しその読み方を考証している山田孝雄氏の『年号読方考証稿』に中では、「かんぴょう」と書かれた書物を見出すことはできない。さらに、時代は下るがポルトガル人のロドリゲスが聞きとった音も、”Quampei”と記されており、他国の人間の耳にも「かんぺい」と聞こえたようである。いったいいつの時代から「かんぴょう」と読むことになったか分からないが、現在の読み方に問題があることは否めないであろう。

 さて、改元を行う理由であるが、記録に見えるものはほぼ先ほど紹介した『歴代天皇・年号事典』にまとめられている。また、平安時代に関して言えば、男性貴族の日記にも当然改元のことが見られるのである。例えば、平安中期の最も有名な貴族である藤原道長の日記『御堂関白記』にもその記録が見られ、長保六年(寛弘一年)七月二十日の条には「其後下改元詔書、改元為寛弘、有諸卿定申、寛仁宜者、而左大弁(忠輔)申云、仁字是諱字也、為之如何」と見えるので当初は「寛仁」と改元する予定であったのが、忠輔が一条天皇の諱「懐仁(やすひと)」の「仁」という文字が元号に入るのを難じたために「寛弘」になったようである。ちなみに、この「寛仁」という年号は、一条天皇の二代後、一条の息子である後一条天皇の御世において使用されている。

 さて、平安時代に時間を知らせる方法として、お寺の鐘はもちろん、宮中では時を知らせる人がいたようである。清少納言の『枕草子』では「時奏する、いみじうをかし。いみじう寒き夜中ばかりなど、ごほごほとごほめき、沓すり來て、弦うち鳴らしてなん、「何のなにがし、時丑三つ、子四つ」など、はるかなる聲にいひて、時の杭さす音など、いみじうをかし。「子九つ、丑八つ」などぞ、さとびたる人はいふ。すべて、なにもなにも、ただ四つのみぞ、杭にはさしける」(『枕草子』二九〇段)と書かれており、鳴弦と杭で時間を知らせていたようである。『延喜式』によると、鼓で時を報じるのに、子丑は各九つ、丑未には八つ、寅申には七つ、卯酉には六つ、辰戌には五つ、巳亥には四つ打つとあり、清少納言が「「子九つ、丑八つ」などぞ、さとびたる人はいふ」と言っているのは、この鼓によって宮中の外に時間が知らされ、民間ではその鼓の音を頼りに、時間を知る基準に使っていたために俗称が発生したものと思われる。

 男性貴族が天皇の物忌みで一緒に籠ることになれば、枕草子で藤原行成が「あす御物忌なるにこもるべければ、丑になりなばあしかりなん」(『枕草子』一三六段)と言っているように、丑の刻までに宮中に行っていないと難じられたようである。各個人に時計がないにしても遅刻すれば咎められることもあり、毎日の日記にしっかりと遅刻者が記録されているところから見ても、意外に時間にうるさい人がいたようである。

 さて、貴族たちの庭造りについて詳細な意見が陳べられている本に藤原頼通の養子になった橘俊綱が著したとされる『作庭記』がある。この本は、庭園を造る場合の指南書である。土木工事に関わることより、有職故実や陰陽道に則って禁忌とすべき点などが陳べられている。特に、樹事の項目では四神相応の思想が如実に見られるのであり、東に鑓水がなければ柳九本を植えて青龍の代わりとし、西に大道がなければ楸七本を植えて白虎の代わりとし、南に池がなければ桂九本を植えて朱雀の代わりとし、北に岡がなければ楡(檜と解す説もあり)を三本植えて玄武の代わりとするとされる。現在の京都御所は、もとは里内裏(正式の内裏が火災等で使用できない際の臨時の内裏)の一つで、土御門東洞院殿と言い、元弘元年(一三三一)、北朝の光厳天皇が最初に使用したものである。現在は幾度かの火災の後建て直された御所であるので、何を基準に建て直されたか知りえないが、もともとはこういった『作庭記』など貴族の屋敷を造る場合の有職故実に則って建てられた邸だったのではないかと考えられるのである。

■参考文献
『歴代天皇・年号事典』 米田雄介編
『年号読方考証稿』 山田孝雄
『大日本古記録 御堂関白記』
『枕草子 日本文学大系』 池田亀鑑他
『「作庭記」の世界 -平安朝の庭園美-』 森蘊

日本語史における時代区分について

 同一の事実を対象としながら様々の「国語の歴史」がある所以は、日本語が日本において話されてきたという事実に対して、研究者が、現在の立場から見たそれぞれの解釈を投入して時代区分を行うからである。それは、国語の「歴史」そのものが、一つの仮説的存在でしかないということを示している。さらに、時代区分を施すべき国語の歴史について、資料そのものがあまりに不足している。というのも、現在、我々が目にすることの出来る資料は、各時代の政治的中心地の言語資料だけだからである。つまり、我々の考える時代区分とは、現存資料の制限から、自然、ある一部の地域でのみ使用されていた日本語の「歴史」とならざるをえないのである。

 本来、過去から未来に向かって、常に流動し続ける時間を、はっきりと区分するというのは無理な話である。その無理をおかしてまで、時代区分を試みるのは、「過去から現在にいたる日本語の姿を、単なる無数の変化のつみかさなりとは見ずに、そこに、はっきりと一つの変遷を考えようとするから」だと阪倉篤義氏は言う。

 人間は、現在自覚への要求のために、過去にたいして意味づけを行おうとする。歴史を特定の立場から統一的に解釈することで、最も解りやすく示したものが、時代区分である。歴史的変遷を考える上で、その時代区分方はいくつか存在する。例えば、「古代」「中世」「近代」という現在までの歴史を三つに区分した三分法で、生・死・復活という図式を適用した直感的区分や、マルクスの社会経済史的観点から、「原始共産制、奴隷制、封建制、資本主義、共産主義」という社会体制の発展形式に即した科学的区分などがある。これらの時代区分が必ずしも国語の「歴史」に当てはまるのではないが、イメージがしやすいという点では、ひどく便利なものである。というのも、言葉というものは、政治や経済の状況、社会の情勢などにより、急激に変化するということがしばしば見られる。それに応じて、文学や文化というものに影響が現れ、その傾向が全く変化してしまうということもありえるからだ。政治史的時代区分があながち間違いとは言い切れない理由である。ただし、これは、政治的中心地にのみにしか言えないことではあるのだが。

 ここで、実際にどのような時代区分があるのかを見ていきたい。まず、橋本進吉氏は、国語の音韻の変化に着目して、奈良朝の終わりまでを第一期、平安朝の初から室町時代の終までを第二期、江戸時代以降を第三期とされた。この、第一期、第二期、第三期の間には、その言語にかなり著しい相違があり、その間に時期を画するのは至当と考えられている。平安朝の院政時代以降と、それより前との間にも相違は見られるが、それほど著しい相違ではないと判断された。さらに、鎌倉時代の言語と室町時代の言語にかなりの差異が見られるが、各時期の口語資料不足のため、どこに境界を引くべきか定まらないとされている。

 次に、山田孝雄氏の時代区分方を見ることにする。山田氏はまず、「古代」と「近世」の二つに大きくわけ、「吉野時代を古代の終、近世の始」とされた。さらに、「古代」を、上代(文献のない時代)、奈良時代(奈良時代及びその前の文献に見えるものを総括)、平安時代(延暦遷都から後三条天皇)、鎌倉時代(院生以来を含)、「近代」を、室町時代(信長・秀吉のころまで含)、江戸時代、現代とわけられた。南北時代あたりに画される溝は大変深いもので、これに比べると、奈良・平安両朝の間の区画は、より浅いものになる。室町時代ごろを境として、日本語が顕著な変貌をとげたが、奈良時代から平安時代にかけての変貌が、これと合い並ぶほどの意義をもつものであるのか、また別に、大きく古代語としてくくるべきものなのかは、国語史の流れを全体としてどう把握するかによるとされた。

 さらに、安藤正次氏の時代区分方を見ると、国語の成立期、国語の初代と大化の改新(大化改新頃まで)、集中・偏在の時代(奈良朝から平安朝)、分散・均等の時代(院政期から室町時代)、二元・対立の時代(江戸時代)、一元・統一の時代(明治以後)とされている。安藤氏は、国語変改勢力の最も盛んであった時期として、㈠大化の改新から奈良朝の初期に至る時代、㈡鎌倉時代、㈢明治維新以後の時代の三つを考えられている。それは、文化のありかたや、社会構造の変移に基づく、文語と口語、あるいは方言の対立統合などに着目したものである。
 どの区分方も、鎌倉時代と室町時代の間にかなりの変化があったことが指摘されている。これは、確かに言語に変化があったことも事実であるが、もう一つの理由として、平安時代以前に比べて現存資料の数が圧倒的に増えたとからと考えることができるのである。

 では、研究者がそれぞれの解釈を投入して、時代区分を行うとはどういうことなのだろう。それは、日本語の何を基準として時代区分を行うかということである。現在、日本語の時代区分は、「音韻」「文字」「語彙」「文法」に分けて考える論がある。

 まず、金田一春彦氏は、「音韻(アクセント)」で時代区分を試みられた。アクセントが変化する場合には、多くの語が一度に同じ方向に変化し、短期間にその変化が終ると考えられる事から、アクセントによる時代区分が可能とされた。その中で、京都語のアクセントとおぼしいものを取り上げ、平安末期以後、京都語のアクセントには、大きな転機が二度あり、ひとつは南北朝時代、もうひとつは江戸後期とされた。語義の区別に役立つメキシコ型アクセントから、一語のまとまりを示すギリシャ型アクセントへの脱皮を遂げてきたのだという。これは、どういうことかというと、語の意義の区別を表すという方は、段々音韻の方に譲り、一語一語にまとまりを与えるという機能、それを発揮する方向に進んできたものといえる。

 次に、乾義彦氏の「文字」による時代区分方だ。乾氏はまず、日本語の文字史にとって、もっとも大きな出来事が漢字との接触であった事に触れ、日本語書記の歴史を画するに、二つの大きな画期が考えられるとした。一つは仮名の成立である。そして、もうひとつは、比較的はっきりと分かれていた平仮名、片仮名と漢字が交用された、所謂和漢混交文の成立である。つまり、古代は漢字専用の時代、近代は漢字仮名交じりの時代と一応の規定をされた。さらに、この二つの基準によって生じるはざまを、仮名と漢字がそれぞれの場合によって使い分けられていた時代とし、移行期としての性格を持つ中世とされた。

 続いて、前田富祺氏による「語彙」での時代区分方である。前田氏は、語形変化、語彙体系の変遷、語種の観点から三区分方を採用された。文学史や政治史とほぼ対応する、古代(前期・後期)、中世(前期・後期)、近代(前期《上方語》《江戸語》、後期《近代語》《現代語》)に区分する。ただし、中世については、古代でもあり近代にもつながると考えてその間で切るか、古代に入れるか、古代でも近代でもない時代として独立させるかということであったが、変動の大きい時代は、それを一つの特徴と認めて一時代と考えたほうが良いという立場をとられた。ただし、現存資料の制約から考えると、このような特徴はあまりにも局部的なものでしかない。語彙史全体の史的方向性が見極めにくいというのが、かえって語彙史の特徴であると考えられる。

 最後に、森重敏氏による「文法」での時代区分方である。森重氏は、その時代区分を三つに区分され、第一の時代(古代)を、推古天皇の頃から南北朝末期までとし、第二の時代(中世)を、室町期初頭から徳川期明和年間までとし、第三の時代(近代)を、徳川期安永年間から現在までとされた。古代の上限を推古天皇の頃としたのは、国語が文字に定着した現在遡りうる限りのところとしたためである。また、古代の頂点的代表として、平安中期の三代集以下の和歌、源氏物語を中心とする物語に見られる係り結びの成熟と多様を指摘された。これらの特徴としては、主としての格が明瞭にされないこと(=主格の省略)、句と句の句格的関係が掴みにくいことなどがあげられる。さらに、第二の頂点ともいえる軍記物語、道行文をもって、古代的掛詞の成熟した形であると見ることができるとされた。中世を、室町初頭をもって始める理由は、謡曲と連歌とが、ここから実質的に興ったからである。尤も、これらの事実上は、南北末期から成立していたのであるから、南北朝末期を古代から中世への過度期と見てよい。さらに、所謂お伽草子の推定期に遡りうる上限が室町初期にあるからである。この時代の文法的特徴は、文における断続の関係と論理的関係とがいずれも不整に乱れているところにある。格の論理的関係のねじれた曲流文は、謡曲の詞章において成立し、近松の浄瑠璃によって成熟、完成を見、西鶴の浮世草子にも独自の文体として成熟した。これらは、断続の関係と理論的関係や、係り結びの関係の甚だしい乱れを見せる。西鶴のこのような破格の基盤は、談林の俳諧であった。室町期の連歌以来の俳諧自体が、断続の明瞭を欠くものであり、芭蕉の連句俳諧は、その正統的な成熟であった。近松西鶴芭蕉の元禄期をもって、文法史では、中世の代表的頂点とする。森重氏は、これらの破格は、文法史的に見て、中世という時代の常格として解釈すべきだと指摘される。また、この時代の乱れは、口語的なものから文語的なものに浸潤したことに基盤をもつと考えられる。さらに、近代の代表的頂点は、文語的な擬古的性格正調と、口頭語的な統一の運動であったとされた。

 このように、研究者の立場によって様々な時代区分方が存在する。私は、人間が日本語を時代区分するのは、より日本語への理解を深めようとするために行うものであるから、多種多様な時代区分が存在して当然だと思う。阪倉篤義氏が次のように書かれていたのが、非常に印象に残った。

「一は奈良時代人、一は平安時代人ということで、かれらの言語(音韻・文法・語彙など)が、奈良時代語と平安時代語とにきっぱりわかれていた、などと考えることは、できるはずのものではない」
という部分である。常に時間は流れているから、言葉は必ず変化していくものである。あるときは音韻が変化し、またあるときは文法が変化し、またあるときは語彙が変化した。その変化が同時に興るときもあれば、ある一部分でのみ興る場合もあったはずである。しかし、ある一部分が変化したからといって、全く意味が通じない別の言語というのはおかしい。奈良時代の人も、平安時代の人も同じ日本語を話していたのだから、少しの差異が生じても意味は通じたのではないか。そう考えると、時代を区分するということ自体がひどく無意味なことのように思えてきた。しかしながら、日本語の変遷を考えるということは、現在、我々が使っている日本語というものが、どのようにして今の状態に至ったのかを知る上で、非常に重要な意味を持っているので、これからも日本語の変遷について研究していかなければならないと思うのである。


参考文献
●阪倉篤義 「国語史の時代区分」(『講座国語史 一 国語史総論』松村明編 大修館書店 昭和五二年)
●乾善彦 「語彙史の時代区分・文字史の時代区分」(『国語語彙史の研究 二〇』国語語彙史研究会 和泉書院 二〇〇一年)
●金田一春彦 「古代アクセントから近代アクセントへ」(『国語学』二二 一九五五年)
●森重敏 「文法史の時代区分」(『国語学』二二 一九五五年)

清少納言と枕草子について

枕草子は、日本文学の中で、もっとも異本が多く、さらに異本間の異動のはなはだしい作品の一つに数えられる。その原因は、作者自身に初稿と再稿があったこと、後人の書加があったことなどによると考えられている。枕草子がいつ成立したか……それを明記する文献はない。はっきりとした成立年代は存在しないのかもしれない。

枕草子の作者は清少納言といわれている。それは内部徴証からほぼ間違いないらしい。清女は、清原元輔のむすめとして生まれた。清少納言というのは、宮仕えに出てからの呼び名であって、「清」は清原氏の意である。「少納言」は父、または兄の官名に酔よったものと考えられるが、詳しいことは分かっていない。清原氏は代々学問の家で、父元輔は歌人として名があり、梨壺の五人の一人として万葉集に古点をふる業績を残し、後撰集の撰にもあずかった学者である。曽祖父の深養父も、古今集や後撰集に歌を選ばれている。清女の学問的教養は、こうした家庭や家系において植えつけられたものである。父の元輔が亡くなってから二三年後、清女は中宮定子に出仕するようになった。その年代については種々の説があるが、正暦四年の冬と考えるのが妥当であるらしい。中宮は一七歳、清女はそれより凡そ十歳ばかり年長であったらしい。その後定子が崩御された長保二年(一〇〇〇)まで、十年に満たない年月こそ、清少納言の生涯にとって、最も幸福な、生きがいのある時期であったと考えられる。

清少納言が中宮定子に出仕しはじめたころは、定子の父である中の関白藤原道隆が、政権を掌握していた時代であった。道隆は関白になると、長女定子を一条天皇の女御に奉り、ついで次女原子を東宮の妃としてさし上げた。その後、嫡子伊周が内大臣となり中の関白家の栄華は、ゆくところを知らぬ有様であった。

しかし、道隆は病を得、薨去してしまう。この道隆の死によって中の関白家の運命は忽ち暗雲に閉ざされるようになった。道隆の関白職は当然伊周に継がれるものと考えられていたが、以外にも弟の道兼に与えられ、道兼が急逝すると、さらにその弟の左大臣道長に譲られてしまった。これには一条天皇の母であり、道隆、道兼の妹、道長の姉にあたる東三条院藤原詮子と道長による策略があったようだ。伊周は才藝優れた人ではあったが、政治的な手腕、人物の大きさなどにおいては、到底叔父道長の敵ではなかった。やがて伊周は道長一派策謀のため、弟の隆家と共に捕らえられて、共に左遷流罪の身となった。

この事件によって、中宮は自ら髪をおろされ、まことに寂しい月日を送る身となられた。さらに、道長長女彰子が、わずか一二歳で入内し、翌年、定子は皇后に、彰子はこれと全く同等の地位である中宮になられたのである。こうして、この世の一切の幸福とよりどころを断たれた定子は、わずか二四歳の短いご生涯を終えられた。清女が宮仕えの生活をした十年足らずの年月は、このように、主家の運命が栄枯盛衰の渦巻くさなかにあったのだ。

しかし、枕草子はそういった中の関白家の零落振りを描いているのではない。寧ろ、宮中での華やかな出来事を中心に描いている。

枕草子には、現在四系統の諸本が存在しているといわれている。三巻本、因能本、前田本、堺本である。驚いたことに、この四つの系統の本は、巻頭の「春はあけぼの」からして本文がみな異なっている。その中で最も重視されているのが「三巻本」だ。その理由は、枕草子四系統本のうち、伝能因所持本とともに、内容量において完本であるということ、奥書により鎌倉以後の伝来の明瞭なこと、古来の枕草子の引用に当たって、この系統本が使用されているらしいことなどである。

それぞれの本の系統について簡単に述べる。まず、伝能因所持本系統。この系統本の古写本の下巻末に、「因能がもっていたと称する本を書き写したのがこの本だ」という奥書が見えることからこの名称がついた。この系統に関する主要本としては、室町時代書写の三条西家旧蔵本、富岡家旧蔵本、高野辰之旧蔵本の三点が知られている。

次に、三巻本系統。現在諸伝本の多くが三冊であるところから三冊本とよばれる。また、安貞本、安貞二年奥書本ともよばれる。その名は、現存伝本に安貞二年三月 耄久愚翁 在判という奥書があることによる。耄久愚翁と称する男性は藤原定家ではないかと言われている。定家は、鎌倉時代に生きた貴族で、殊に和歌を得意としていたが、源氏物語や伊勢物語の写本を後世に多く残し、現代、古典の多くにその本文が採用されている。さらに、現存の三巻本系統諸本は、池田亀鑑によって、第一類(甲類)・第二類(乙類)とに分けられた。第一類は上・中・下全三冊で、「春はあけぼの」以下「あぢきなきもの」までの本文がなく、「ここちよげなるもの」から上巻がはじまるもの。第二類は、全三冊で中と下との始まる章段も同じであるが、上巻は、「春はあけぼの」からはじまる。中学で習う枕草子は、三巻本系統諸本で、さらに乙類の伝本である。 甲類の主要写本の中には陽明文庫蔵本、宮内庁書陵部図書寮蔵本、高松宮家蔵本などがあり、また乙類の主要写本には、弥富破摩雄旧蔵本、刈谷図書館蔵本、伊達家旧蔵本などが挙げられる。

そして、前田家本。前田家本は一般に前田本とも呼ばれるが、この系統に属する本は、他に見当たらないようだ。さらに、前田家本には、三巻本系統本は直接関係していないものと考えられている。それは、「伝能因本と堺本とを底本として集成して作られた後人による改修本である。」という仮説がまず動かない、確かなものだと考えられているからだ。

最後に、堺本。奥書に(元亀元年一五六〇)十一月 日 宮内卿清原朝臣として、堺の文字が見られることによる。この系統の本は、雑纂的なのと異なり、類纂・類聚的に、天地自然の現象または物事に関するもの、人間の日常生活に関係したこと、また四季の風物・情趣についてしるしたものなどとなっている。堺本系統本の主要写本には高野辰之旧蔵本、旧台北帝国大学蔵本、鈴鹿三七旧蔵本、後光厳院宸翰本、京都大学蔵本などがある。

枕草子は、悲痛な歴史の現実の中に身をもって生きた作者が、空想や虚構によって書いたものではなく現実の記録だ。だが、清女は決して暗さや、愚痴や、絶望や、あるいは感傷などを残す人ではなかった。清女の明るさはこの草子を読む人にも元気を分けてくれるような気がしてならない。

●参考文献
『枕草子研究』岸上慎二 新生社
『清少納言枕冊子研究』田中重太郎 笠間書院
『枕草子必携』 岸上慎二 学燈社

兼家さまへ

蜻蛉日記の中に、蜻蛉日記作者が夫兼家に書いて宛てた長歌が載っています。私が初めてこれを見たときは驚きで声も出ないほどでした。内容もさることながら、上手いのです。(文字使いや手運びが。)

さすがに兼家もこれを貰ってしまっては、少しは蜻蛉日記作者のことを思いなおす切欠になったのではないかと思います。・・・で、実際手紙を送ったのではなくて、兼家が久々に家に寄ったときにさりげな~く見つけさせるという手法。笑

今やったらかなり嫌な女というイメージかもしれませんけど、当時としては直接言うのも癪というかはしたないというか、そういう雰囲気があったかもしれないですね。ちなみに道綱君も登場。かなり可愛らしい事になっております。

あ。そうそう。兼家さんも一応長歌でお返事をしております…んが、やはり蜻蛉日記作者が数段上手いです。もし興味がありましたら、一度蜻蛉日記を読んでみてください。兼家の強引さ、モモは意外に好感が持てました。これはおそらく作者が兼家をなんだかんだ言いつつ好きだったからなのだと思います。

今日は、蜻蛉日記作者の長歌を載せます。原文とモモ語訳(日本古典文学全集をかなり参照。笑)を付けておきます。兼家さん一家に興味を持っていただければと思います。(しつこいですが、モモはこの夫婦意外に好きなのですよ。苦笑)


思へただ むかしもいまも わが心 のどけからでや 果てぬべき 見そめし秋は 言の葉の 薄き色にや うつろふと 嘆きのしたに 嘆きかれき 冬は雲居に 別れゆく 人を惜しむと 初時雨 曇りもあへず 降りそほち 心細くは ありしかど 君には霜の 忘るなと 言ひおきつとか 聞きしかば さりともと思ふ ほどもなく とみにはるけき わたりにて 白雲ばかり ありしかば 心空にて 経しほどに 霧もたなびき 絶えにけり また古里に 雁の 帰るつらにやと 思ひつつ 経(ふ)れどかひなし かくしつつ わが身空しき 蝉の羽の いましも人の 薄からず 涙の川の はやくより かくあさましき うらゆゑに ながるることも 絶えねども いかなる罪か ゆきもはなれず かくてのみ 人のうき瀬に ただよひて つらき心は みづの泡の 消えば消えなむと 思へども 悲しきことは みちのくの 躑躅の岡の くまつづら くるほどをだに 待たでやは 宿世(すくせ)絶ゆべき 阿武隈(あぶくま)の あひ見てだにと 思ひつつ 嘆く涙の 衣手に かからぬ世にも 経(ふ)べき身を なぞやと思へど あふはかり かけはなれては しかすがに 恋しかるべき 唐衣 うちきて人の うらもなく なれし心を 思ひては うき世を去れる かひもなく 思ひ出で泣き われやせむ と思ひかく思ひ 思ふまに 山と積もれる しきたへの 枕の塵も 独り寝の 数にし取らば つきぬべし なにか絶えぬる たびなりと 思ふものから 風吹きて 一日(ひとひ)も見えし 天雲(あまぐも)は 帰りし時の なぐさめに いま来むといひし 言の葉を さもやとまつの みどりごの たえずまねぶも 聞くごとに 人わろげなる 涙のみ わが身をうみと たたへども みるめも寄せぬ 御津(みつ)の浦は かひもあらじと 知りながら 命あらばと 頼めこし ことばかりこそ しらなみの 立ちも寄りこば 問はまほしけれ


なにとぞ、お察しください。昔も今もわたくしの心が安らかでいるときなどないことを。わたくしはこのまま果ててしまうのでしょうか。

初めてあなたさまにお逢いした秋には、あなたからいただいた愛情深いお言葉も、すぐに色褪せてしまうのではないかと、嘆きに嘆いたものでした。冬には、遠く旅立つ父を惜しんで、初時雨のような涙の雨が、雲が持ちこたえることが出来ないほどに降りそぼち、心細くはありましたけれど、「娘をお忘れなく」と父が言い残しておいたかと聞きましたから、いくらなんでもと思っていたのもつかの間、父が遠いかなたに行ってしまったうえに、あなたまで急に疎遠になっておしまいになり、わたくしがうつろな心で時を過ごしているうちに、二人の間には霧が立ち込め、あなたからの便りも絶えてしまったのです。

けれど、あの古巣に帰るという雁のように、あなたが戻ってきてくれることもあるかもしれないと思って待ち続けてまいりましたが、そのかいもありません。こうして、わが身は蝉の脱殻のようなむなしさ、その蝉の羽にも似たあなたの薄情さは今に始まったことではありません。前々からこのようにあきれるほどに痛ましい心を抱いた身の上なので、尽きぬ涙の涙川に身をなして泣き暮らしてまいりましたが、前世にどんな罪を犯したというのでしょう。あなたとの縁から逃れることも出来ず、定めない浮世に漂って、つらい思いをするばかり。

水の泡が消えるように死ねるものなら死んでしまいたいと思うけれど、こんなに悲しい目にあって、しかも陸奥にいる父の帰京を待たずには死ぬにも死にきれない。せめて一目会ってからと思い続けていますと、嘆く涙で袖が濡れるばかり。こんなに泣き濡れる嘆きをしないでもすむ境涯に暮らすこともできるでしょうに、出家の身となってお逢いするあてどがなくなってしまったら…やはり恋しく思うこともおありでしょう。

あなたがおいでになって、うちとけ馴染みを重ねた昔の心を思い出しますと、せっかく俗世を捨てたかいもなく、追憶の涙に泣き濡れて、執着を断ち切れないかもしれません。ああも思いこうも思い、思い乱れているうちに、山のように積る枕の塵の数は大変なものですが、それも独り寝の夜数には及びもつかぬことでしょう。

どうせ、あなたとの仲は遠い旅のように隔たり、おいでくださる機会もなくなったと思っておりましたのに、あの野分ののちの一日、天雲のようによそになりゆく人と思っていたあなたが、姿をお見せになってお帰りの時、気休めに「近いうちに来るよ」と仰ったお言葉をまに受けて待っております幼子が、たえず口まねをするのを聞くたびに、みっともないことには、わが身をつらいと感じている涙が、湖のように溢れますが、こんな見る影もない私の所などにはおいでくださるはずもなく、はかない望みとは知りながらも、ただ、いつぞや「命のあるかぎりは」と、あてにおさせになったことが、真実のお心かどうか分かりませんので、お立ち寄りくださったら、お尋ねしたいと思っているのです。


さぁ。皆様も愛しいあの人に長歌を送ってみましょう!笑

かがやく日の宮(藤壼)について

源氏が、桐壼帝が寵愛される「藤壼の宮」に負けず劣らず美しい皇子であったために、時の人は、この皇子の事を「光る君」と呼びます。そこから「光源氏」という名前がつきました。

そして、光源氏が憧れてやまないこの「藤壼の宮」も、この「光る君」に対して、「かがやく日の宮」と称される事になるのですが、この「日」は「妃」の掛詞になっているのではないかといわれています。ここでの「妃」というのは、帝の正妻である中宮や皇后の身分ことを指していると思います。

源氏物語のストーリーを知っている現代人から見れば普通に納得できる話(後に藤壼は桐壼帝の中宮になられるので)ですが、このときは、まだ、弘徽殿女御が中宮になってもおかしくないと思われる時期なので、世聞の人が藤壼のことを「妃」と呼んでいたということに少し驚いてしまいます。

藤壺は先帝の娘ですから身分も弘徽殿女御より高かったので、問題にならなかったのでしょうけれど、弘徽殿女御からすればひどい話ですよね。嫌われ役の弘徽殿女御ですが、桐壼帝ももう少し優しくしてあげればいいのに・・・と思ったモモなのでありました。

源氏物語について

ついこの間、源氏物語は「干年の恋光源氏」というタイトルで映画化されました。そのきらびやかな衣装に目を奪われたものです。この映画では、紫式部が物語の語り手となって登場していましたが、実際の『源氏物語』はどうだったのでしょう?

実は、『源氏物語』には語り手なるものが存在します。物語のあちらこちらに登場し、自分の意見を述べているのです。だとすれば、それはイコール紫式部なのかというと、実はそうではないのです。

まず、光源氏を主人公としたお話を、この語り手が見聞きした(実際に見たか、聞いたかした)という設定で、紫式部が書いているのが『源氏物語』なのです。語り手は、あくまで紫式部が作り出したもので、彼女自身が物語にたいしてあれこれ言っているわけではありません。こういった、語り手が自分の意見を述べている部分を指して、『草子地」といいます。

『源氏物語』には、この語り手が登場することによって、今までの文学作品と画期的に違った部分があります。それは、話を途中で切ってしまう、終えてしまうということです。それはどういうことかといいますと、光源氏と頭中将が青海波を舞ったときなど、この語り手が物語を話しているという設定ですから、 「このほかにもおもしろい舞などはありましたが、あまりにもこの舞が素晴らしかったので忘れてしまいました」とか「よく覚えておりません」などといって、話を短くまとめあげてしまうのです。

今までの文学作品といいますのは、とにかくなんでもかんでも書く、すべて書くというのがあたりまえでしたから、読者は飽きてくるんですね。 (もし、青海波と同じような説明が、この後、20も30も挙げられたらどうでしょう?読むのも嫌になってしまいますよね。それに、最初の舞が素晴らしいということも強調できなくなってしまいます。)

紫式部は考えたのでしょうね。どうすれば、すっきりと物語をまとめあげる事ができるのか・・・。結果、語り手を登場させることによって、たいへん読みやすい作品となったわけです。

兄弟姉妹について

現在、男兄弟の事を、自分より年が上か下かで、「兄」、「弟」と区別して表現していますよね。もちろん、女姉妹も、「姉」、「妹」と区別します。この自分よりも年が上か下かで呼び方が違うという今ではあたりまえの考え方が、平安時代にはありませんでした。

男兄弟のことは、みな「せうと」とあらわし、女姉妹のことは、みな「いもうと」とあらわしたのです。「せうと」と「いもうと」が、兄弟姉妹をあらわしているとすれば、男女の区別を表している部分が、「せ」と「いも」であることはわかりますね。もう少し時代をさかのぼって、『万葉集』などを見ますと、夫の事を「我が背子」といったり、妻の事を「妹(いも)」といっている記述が見られます。

現在では、『源氏物語』に登場する、源氏の最初の正妻、葵の上の兄として知られる頭中将ですが、原文には「せうと」としか出てきません。どちらが年上であるか、物語中には書かれていないのです。

物語を読み進めていく点では不便とも思われますが、どちらが年上か考えてみるのも面白いものです。

東宮について

東宮というのは皇太子のことです。

東宮ってどうして「東の宮」って書くんだろう?って思ったことはありませんか?モモはずっと不思議に感じていました。これは、源氏物語の授業を受けていて聞いた話なので、しっかりと確認したわけではありませんが、教授から聞いたお話です。

中国では、宮中の東側にこの皇太子の宮があったそうです。それで東の宮、東宮(に住む人)という意味でだんだんと東宮=皇太子となっていったそうです。また、東宮は春宮とも書きますよね。
なんとそれも同様の意味があるそうで、春は東から来るので東に住む宮、春がくる方向に住む宮ということで春宮となったそうです。

考えてみると太陽も東から昇りますし、東は縁起のいい方角と考えられていたのかなあと恩いました。陰陽道や宿曜道に詳しければ分かるのですけれど(^_^;)

女性を褒めるときの言葉について

皆さんは女性を褒めるとき、どのように表現していますか?「かわいい」とか「美しい」とか…他にもいろいろありますけど、一般的にはこの二系統に分類してますよね。

平安時代には、女性を表現する言葉に、「うるはし」と「なつかし」という言葉がありました。

「うるはし」はどういうときに使うのでしょうか?女性を美しいと言うときに、端正であるとかご立派であるとか、少し近寄りがたいほどの美しさをあらわします。平安時代ではどちらかというと評価できないほうに見られていました。源氏物語の葵の上などはこのうるはしで表現されています。それと、桐壷の巻で桐壼の更衣の美しさと比較するために楊貴妃の美しさが書かれているのですが、この楊貴妃もうるはしで表現されています。唐めいている、唐風であることもすこし近寄りがたいぐらい立派だったのでしょうね。

それに比べて「なつかし」は、先ほどの桐壼の更衣などに使われています。美しさといっても、なつきたくなるような親しみや優しさをもった美しさです。なつかしの語源は「なつく」からきています。今「懐かしい」というと、昔の事を思い出して気持が惹かれることをいいますよね。平安時代では、昔を思い出すわけではありませんが、気持ちが惹かれるという意味は今と変わらなかったようです。

「うるはし」と「なつかし」は同じように美しさを表す言葉にしては、まったくその感じを異にしているのです。

そして、もうひとつおまけに「らうたし」という言葉を紹介しておきましょう。「らうたし」はどちらかといえば「なつかし」に近い語で、守ってあげたいほどかわいらしい、~してあげたいほどかわいいというかわいらしさをあらわします。たしか、タ顔などはそのように表現されていたと思います。 (←確認しろ。笑)

この3つの語の意味を知るだけで、当時の人がどのように物語の女人をとらえていたかわかりますよね。美しさにもいろいろあるのだなあというお話でした。

平安貴族の男性の「泣く」について

現在で考えると、一男が泣くということは意気地がないだとか、弱虫だとかマイナス面のイメージがありますが、それは武士の考え方です。平安時代の貴族はそうは考えませんでした。

「泣く」=「風流心を解する人、心のある人」と考えたのです。つまり、心があるから涙が出てしまう、悲しいという気持ちが解るから涙が落ちてしまうのです。そして、それは、高貴な人にしか見られない行為なのです。 (物語の中でですよ。)位が高い人は人間の心を持っているということなんですねえ~。すごい考え方ですけど、なるほどという気もします。

ちなみに枕草子には犬が涙を流す話がでてきまして、涙を流すのは人間だけだと思っていたと少納言は言っております。

「古典」の字義について

古典の字義を見てみましょう。
「古」…「古」という字は、上半分が「十」下半分が「口」を示しています。つまり、「十」と「口」から成る会意文字で、それが表している意味は、十人の口の伝えたところのものという意味です。これは、どういうことを言っているのかといいますと、古代においては、文字が存在しておらず、口頭伝承を行っていたことを表しています。

「典」…では、「典」はどうでしょうか。 「典」の下半分は「几(机)」を表し、上半分に、 「冊」をおく形を表現しています。 「冊」は書物を表す象形文字ですから、机の上に書物を置くということを表しているのです。これは、敬いの気持ちを表現しています。つまり、先祖代々語り継がれてきた大切なこと(教訓めいたもの)を示すのが古典だったわけです。

これは、今の我々が「古典」に持つイメージと少し違います。それもそのはず、元来、日本においても、「古典」=東洋の古い典籍の意味だったからです。明治の初めになって、西洋のclassic(英語)、classique(フランス語)、klassisch(ドイツ語)、など、ラテン語のClassicusから派生した言葉の語訳として「古典」という単語が用いられました。このころ、「古典」とClassicの意味が結合しつつあったようです。

そして、現在、「古典」という言葉は、古代ギリシャ・ローマの典籍と古代中国の聖賢の書のことを言い、転じて、それらに準じうる重要な典籍をも含むようになったのです。目本でも、奈良~明治初年に至るまでの間にあらわされた亘要典籍を指すようになりました。

・・・と、「古典」という言葉自体は、そんなに古いものではないのです。古くからあったとしても、現在のような意味で使われだしたのは、明治に入ってからということでしょうね。このことについては、岩波文庫から出ている『古典学入門』池田亀鑑氏の本に詳しく書かれています。古典を勉強する学生にオススメの本です。

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