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京極為兼

さてさて、あれからなぜか気になる京極為兼さんの本をもう一つ借りてきました。土岐善麿先生がお書きになった『京極為兼』。私のような和歌初学者にも分かりやすく書かれておりました。・・・といいつつ、和歌のほうは詳しく読めておりません(>_<)とりあえず、最後の「その業績と生涯」という部分から読んでみました。

為兼さんは鎌倉幕府政治の後期、持明院統(北朝)の実力者として活躍した政治家です。政治家であり、歌人ともいえます。大覚寺統(南朝)や鎌倉幕府を相手に、三者間の調整をはかる立場にありました。歌人としては、当時沈滞した歌壇に立ち向かい、革新的な機運を促しました。その歌論に、『為兼卿和哥抄』一巻があり、生前一万首以上も詠んだと伝わっています。持明院統につらなる人たちを中心に京極派の歌風を推進し、伏見院の勅撰である玉葉和歌集を編纂しました。

以前、為兼の父・為教と伯父・二条為氏(為教の兄)がすこぶる仲が悪かったと書きました。それは、それぞれの家の歌風が相容れなかったこともありますが、単に歌だけでなく、政治的な対立もあったろうと思われます。すなわち、為氏の子・為世は大覚寺統の師範であり、為兼は持明院統の師範であったからです。

大覚寺統の治世となれば、当然為世が歌壇的勢力を、逆に持明院統の治世となれば、為兼がそれを得るという情勢だったのです。つまり、大覚寺統の後宇多院の院政になると、為世が『新後撰集』を、持明院統の伏見院の院政になると、為兼が『玉葉集』を、さらに後宇多院の院政下に、ふたたび為世が『続千載集』を撰進するというありさまだったのです。

為教は、兄・為氏にけむたがられ、一族の歌合せにも招かれないような不仲であり、為氏が『続拾遺集』を作った際、為教一族の入集歌が少ないことが原因で発病し、訴状を出してから四ヵ月後に二条派への遺恨を抱いたまま死にいたったのでした。
(あ~。なんか誠信のような話だな・・・。)

今日はここまで。為兼の話は後に続く←続けられたら・・・。

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