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俊成パパと定家卿

『源氏物語』夕顔の巻きまで読み終えました。・・・夕顔の巻は、まるで2時間のサスペンスドラマでも見るような心地でした。結末は知っているけど・・・というか、六条御息所なんてほとんど出てこない。この段階では例のもののけが誰かまではよく分からないんですね。光源氏が六条のほうでも好ましく思っていないだろうと勝手に想像しているだけで・・・。

私が一番びっくりしたのは、源氏の従者である惟光までが色好みとして書かれていたことで・・・。今までのイメージとして、源氏をたしなめるような存在だと思っていましたが、大きな勘違いでした。だから原文を読まなくては・・・(^_^;)まぁ、惟光にも共感されなければなかなか夕顔に通うこともできませんよね。夕顔の巻きにちょこちょこ空蝉や軒端の荻との文のやりとりが出てきて、それにも興をそそられました。意外にも、和歌だと大胆な空蝉。軒端の荻は結婚してるし。これはまた続きを読むのが楽しみになりました。

夕顔の巻は帚木や空蝉などのだらだらした感じの文章が一転、あっというまにドラマは進み、光源氏も病に倒れ、ここまでの話だったら光源氏の人生も人と変わらないなという感じ。でも、おそらくこの帚木から夕顔は後々付け加えられたであろう巻なので、これからが本当の源氏ストーリーというわけです。続きを読むのが楽しみになっております。

ところで、源氏つながりというわけではないですが、只今藤原定家(久保田淳)を読んでおります。浪漫的な定家の性格素敵です☆彡

藤原定家は俊成が四十九歳の時の子で、俊成は当時まだ顕広と名乗っており、正四位下左京大夫でした。母は若狭守藤原親忠の女で美福門院加賀といい、鳥羽院の妃、近衛天皇の母后美福門院の女房です。

俊成が顕広と名乗っていたのは、幼いころ父・俊忠を失って、九条民部卿・藤原顕頼(葉室流)の猶子となっていたからでしょう。

定家の母は俊成と結婚する以前、長門守・藤原為経の妻として隆信を生んでいます。隆信は似絵の大家として著名です。その隆信は定家の異父兄ということになります。しかし、為経は隆信が生まれた翌年出家し、寂超と号します。その後、加賀は俊成と結ばれますが、俊成と加賀が結婚するまでには大きな障害がありました。俊成はそれ以前、この為経の姉妹(為忠女)を妻としており、加賀は義理の兄弟の配偶者だったのです。つまり、加賀の前夫の姉妹が俊成の妻という非常に近い親類関係だったわけです。
keizu.jpg


『新古今和歌集』恋・三には、二人の歌の贈答が残されています。

女につかはしける
よしさらば のちの世とだに たのめおけ つらさにたへぬ 身ともこそなれ 皇太后宮大夫俊成

返し
たのめおかむ たださばかりを 契りにて うき世の中の 夢になしてよ 藤原定家朝臣母

俊成は加賀との間に、成家・定家・八条院三条・高松院大納言・上西門院五条・八条院中納言・前斎院大納言・承明門院中納言と多くの子女を設けています。俊成は『長秋草』で妻のことを「年ごろの友、子供の母」と呼んでいます。

この定家の母が亡くなったのは建久四(一一九三)年二月十三日のことで、当時定家は三十二歳。友人や主人(良経)から弔問の歌が贈られ、悲しみのうちに季節が巡り初秋になります。

七月九日、台風めいた風が京の都に吹き、雨が降りました。この頃、父と居を別にしていた定家は、俊成の許を訪ねています。この時詠まれた歌が俊成の『長秋草』に、

七月九日、秋風荒く吹き、雨そそきける日、左少将まうできて帰るとて、書きおける
たまゆらの 露も涙も とどまらず なき人恋ふる 宿の秋風

返し
秋になり 風のすずしく 変るにも 涙の露ぞ しのに散りける

として収められています。同じ贈答歌が、定家の『拾遺愚草』にも収められていますが、その詞書は「秋、野分せし日、五条へまかりて、帰るとて」というもので、定家はこの秋風を野分と捉えているのです。この詞書の違いから、久保田氏は定家が『源氏物語』の二、三の場面を想起していたに違いないと考えられています。

その一つは「桐壺」。桐壺更衣を失ったのち悲しみにくれている桐壺帝が、更衣の母を弔う使いとして、靫負命婦を使わせる場面。野分の後、桐壺帝は命婦を更衣の母の許へ遣わしました。

二つ目は「野分」。父とは住まいを異にしている夕霧が、六条院へ見舞いにいき、美しき義母・紫の上を垣間見る場面。

三つ目は、「御法(みのり)」。紫の上が亡くなり、夕霧があの野分の巻きのことを思い起こしている場面です。

野分めいた風が京の街を吹き荒れた日、妻を失った老父を見舞おうと思い立ち、家を出た定家が、そのときすでに自らの姿を『源氏物語』の夕霧とさかねてあわせていたというのです。もちろん俊成は光源氏です。氏は、虚構である『源氏物語』の叙述が、この悲しい体験に遭遇したことによって人生の真実として了解され、定家はおのずとそのような行動をとらされたと考えられています。

定家が無意識のうちに自分を夕霧に重ねたかどうかはわかりませんが、自分の生活の一部に溶け込むほど愛読していた『源氏物語』を享受してくれたのは俊成であり、源氏供養などもした母でした。定家が愛してやまなかった母に、紫の上を重ねたとしても不思議はないように思われます。定家の浪漫的な性格ゆえ・・・とも考えられますが。(笑)私は定家のそういうところが結構好きみたいです。

定家についてはまだまだ面白いことがありますが、今日はこのへんにて。

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