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清少納言と枕草子について

枕草子は、日本文学の中で、もっとも異本が多く、さらに異本間の異動のはなはだしい作品の一つに数えられる。その原因は、作者自身に初稿と再稿があったこと、後人の書加があったことなどによると考えられている。枕草子がいつ成立したか……それを明記する文献はない。はっきりとした成立年代は存在しないのかもしれない。

枕草子の作者は清少納言といわれている。それは内部徴証からほぼ間違いないらしい。清女は、清原元輔のむすめとして生まれた。清少納言というのは、宮仕えに出てからの呼び名であって、「清」は清原氏の意である。「少納言」は父、または兄の官名に酔よったものと考えられるが、詳しいことは分かっていない。清原氏は代々学問の家で、父元輔は歌人として名があり、梨壺の五人の一人として万葉集に古点をふる業績を残し、後撰集の撰にもあずかった学者である。曽祖父の深養父も、古今集や後撰集に歌を選ばれている。清女の学問的教養は、こうした家庭や家系において植えつけられたものである。父の元輔が亡くなってから二三年後、清女は中宮定子に出仕するようになった。その年代については種々の説があるが、正暦四年の冬と考えるのが妥当であるらしい。中宮は一七歳、清女はそれより凡そ十歳ばかり年長であったらしい。その後定子が崩御された長保二年(一〇〇〇)まで、十年に満たない年月こそ、清少納言の生涯にとって、最も幸福な、生きがいのある時期であったと考えられる。

清少納言が中宮定子に出仕しはじめたころは、定子の父である中の関白藤原道隆が、政権を掌握していた時代であった。道隆は関白になると、長女定子を一条天皇の女御に奉り、ついで次女原子を東宮の妃としてさし上げた。その後、嫡子伊周が内大臣となり中の関白家の栄華は、ゆくところを知らぬ有様であった。

しかし、道隆は病を得、薨去してしまう。この道隆の死によって中の関白家の運命は忽ち暗雲に閉ざされるようになった。道隆の関白職は当然伊周に継がれるものと考えられていたが、以外にも弟の道兼に与えられ、道兼が急逝すると、さらにその弟の左大臣道長に譲られてしまった。これには一条天皇の母であり、道隆、道兼の妹、道長の姉にあたる東三条院藤原詮子と道長による策略があったようだ。伊周は才藝優れた人ではあったが、政治的な手腕、人物の大きさなどにおいては、到底叔父道長の敵ではなかった。やがて伊周は道長一派策謀のため、弟の隆家と共に捕らえられて、共に左遷流罪の身となった。

この事件によって、中宮は自ら髪をおろされ、まことに寂しい月日を送る身となられた。さらに、道長長女彰子が、わずか一二歳で入内し、翌年、定子は皇后に、彰子はこれと全く同等の地位である中宮になられたのである。こうして、この世の一切の幸福とよりどころを断たれた定子は、わずか二四歳の短いご生涯を終えられた。清女が宮仕えの生活をした十年足らずの年月は、このように、主家の運命が栄枯盛衰の渦巻くさなかにあったのだ。

しかし、枕草子はそういった中の関白家の零落振りを描いているのではない。寧ろ、宮中での華やかな出来事を中心に描いている。

枕草子には、現在四系統の諸本が存在しているといわれている。三巻本、因能本、前田本、堺本である。驚いたことに、この四つの系統の本は、巻頭の「春はあけぼの」からして本文がみな異なっている。その中で最も重視されているのが「三巻本」だ。その理由は、枕草子四系統本のうち、伝能因所持本とともに、内容量において完本であるということ、奥書により鎌倉以後の伝来の明瞭なこと、古来の枕草子の引用に当たって、この系統本が使用されているらしいことなどである。

それぞれの本の系統について簡単に述べる。まず、伝能因所持本系統。この系統本の古写本の下巻末に、「因能がもっていたと称する本を書き写したのがこの本だ」という奥書が見えることからこの名称がついた。この系統に関する主要本としては、室町時代書写の三条西家旧蔵本、富岡家旧蔵本、高野辰之旧蔵本の三点が知られている。

次に、三巻本系統。現在諸伝本の多くが三冊であるところから三冊本とよばれる。また、安貞本、安貞二年奥書本ともよばれる。その名は、現存伝本に安貞二年三月 耄久愚翁 在判という奥書があることによる。耄久愚翁と称する男性は藤原定家ではないかと言われている。定家は、鎌倉時代に生きた貴族で、殊に和歌を得意としていたが、源氏物語や伊勢物語の写本を後世に多く残し、現代、古典の多くにその本文が採用されている。さらに、現存の三巻本系統諸本は、池田亀鑑によって、第一類(甲類)・第二類(乙類)とに分けられた。第一類は上・中・下全三冊で、「春はあけぼの」以下「あぢきなきもの」までの本文がなく、「ここちよげなるもの」から上巻がはじまるもの。第二類は、全三冊で中と下との始まる章段も同じであるが、上巻は、「春はあけぼの」からはじまる。中学で習う枕草子は、三巻本系統諸本で、さらに乙類の伝本である。 甲類の主要写本の中には陽明文庫蔵本、宮内庁書陵部図書寮蔵本、高松宮家蔵本などがあり、また乙類の主要写本には、弥富破摩雄旧蔵本、刈谷図書館蔵本、伊達家旧蔵本などが挙げられる。

そして、前田家本。前田家本は一般に前田本とも呼ばれるが、この系統に属する本は、他に見当たらないようだ。さらに、前田家本には、三巻本系統本は直接関係していないものと考えられている。それは、「伝能因本と堺本とを底本として集成して作られた後人による改修本である。」という仮説がまず動かない、確かなものだと考えられているからだ。

最後に、堺本。奥書に(元亀元年一五六〇)十一月 日 宮内卿清原朝臣として、堺の文字が見られることによる。この系統の本は、雑纂的なのと異なり、類纂・類聚的に、天地自然の現象または物事に関するもの、人間の日常生活に関係したこと、また四季の風物・情趣についてしるしたものなどとなっている。堺本系統本の主要写本には高野辰之旧蔵本、旧台北帝国大学蔵本、鈴鹿三七旧蔵本、後光厳院宸翰本、京都大学蔵本などがある。

枕草子は、悲痛な歴史の現実の中に身をもって生きた作者が、空想や虚構によって書いたものではなく現実の記録だ。だが、清女は決して暗さや、愚痴や、絶望や、あるいは感傷などを残す人ではなかった。清女の明るさはこの草子を読む人にも元気を分けてくれるような気がしてならない。

●参考文献
『枕草子研究』岸上慎二 新生社
『清少納言枕冊子研究』田中重太郎 笠間書院
『枕草子必携』 岸上慎二 学燈社

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