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日本語史における時代区分について

 同一の事実を対象としながら様々の「国語の歴史」がある所以は、日本語が日本において話されてきたという事実に対して、研究者が、現在の立場から見たそれぞれの解釈を投入して時代区分を行うからである。それは、国語の「歴史」そのものが、一つの仮説的存在でしかないということを示している。さらに、時代区分を施すべき国語の歴史について、資料そのものがあまりに不足している。というのも、現在、我々が目にすることの出来る資料は、各時代の政治的中心地の言語資料だけだからである。つまり、我々の考える時代区分とは、現存資料の制限から、自然、ある一部の地域でのみ使用されていた日本語の「歴史」とならざるをえないのである。

 本来、過去から未来に向かって、常に流動し続ける時間を、はっきりと区分するというのは無理な話である。その無理をおかしてまで、時代区分を試みるのは、「過去から現在にいたる日本語の姿を、単なる無数の変化のつみかさなりとは見ずに、そこに、はっきりと一つの変遷を考えようとするから」だと阪倉篤義氏は言う。

 人間は、現在自覚への要求のために、過去にたいして意味づけを行おうとする。歴史を特定の立場から統一的に解釈することで、最も解りやすく示したものが、時代区分である。歴史的変遷を考える上で、その時代区分方はいくつか存在する。例えば、「古代」「中世」「近代」という現在までの歴史を三つに区分した三分法で、生・死・復活という図式を適用した直感的区分や、マルクスの社会経済史的観点から、「原始共産制、奴隷制、封建制、資本主義、共産主義」という社会体制の発展形式に即した科学的区分などがある。これらの時代区分が必ずしも国語の「歴史」に当てはまるのではないが、イメージがしやすいという点では、ひどく便利なものである。というのも、言葉というものは、政治や経済の状況、社会の情勢などにより、急激に変化するということがしばしば見られる。それに応じて、文学や文化というものに影響が現れ、その傾向が全く変化してしまうということもありえるからだ。政治史的時代区分があながち間違いとは言い切れない理由である。ただし、これは、政治的中心地にのみにしか言えないことではあるのだが。

 ここで、実際にどのような時代区分があるのかを見ていきたい。まず、橋本進吉氏は、国語の音韻の変化に着目して、奈良朝の終わりまでを第一期、平安朝の初から室町時代の終までを第二期、江戸時代以降を第三期とされた。この、第一期、第二期、第三期の間には、その言語にかなり著しい相違があり、その間に時期を画するのは至当と考えられている。平安朝の院政時代以降と、それより前との間にも相違は見られるが、それほど著しい相違ではないと判断された。さらに、鎌倉時代の言語と室町時代の言語にかなりの差異が見られるが、各時期の口語資料不足のため、どこに境界を引くべきか定まらないとされている。

 次に、山田孝雄氏の時代区分方を見ることにする。山田氏はまず、「古代」と「近世」の二つに大きくわけ、「吉野時代を古代の終、近世の始」とされた。さらに、「古代」を、上代(文献のない時代)、奈良時代(奈良時代及びその前の文献に見えるものを総括)、平安時代(延暦遷都から後三条天皇)、鎌倉時代(院生以来を含)、「近代」を、室町時代(信長・秀吉のころまで含)、江戸時代、現代とわけられた。南北時代あたりに画される溝は大変深いもので、これに比べると、奈良・平安両朝の間の区画は、より浅いものになる。室町時代ごろを境として、日本語が顕著な変貌をとげたが、奈良時代から平安時代にかけての変貌が、これと合い並ぶほどの意義をもつものであるのか、また別に、大きく古代語としてくくるべきものなのかは、国語史の流れを全体としてどう把握するかによるとされた。

 さらに、安藤正次氏の時代区分方を見ると、国語の成立期、国語の初代と大化の改新(大化改新頃まで)、集中・偏在の時代(奈良朝から平安朝)、分散・均等の時代(院政期から室町時代)、二元・対立の時代(江戸時代)、一元・統一の時代(明治以後)とされている。安藤氏は、国語変改勢力の最も盛んであった時期として、㈠大化の改新から奈良朝の初期に至る時代、㈡鎌倉時代、㈢明治維新以後の時代の三つを考えられている。それは、文化のありかたや、社会構造の変移に基づく、文語と口語、あるいは方言の対立統合などに着目したものである。
 どの区分方も、鎌倉時代と室町時代の間にかなりの変化があったことが指摘されている。これは、確かに言語に変化があったことも事実であるが、もう一つの理由として、平安時代以前に比べて現存資料の数が圧倒的に増えたとからと考えることができるのである。

 では、研究者がそれぞれの解釈を投入して、時代区分を行うとはどういうことなのだろう。それは、日本語の何を基準として時代区分を行うかということである。現在、日本語の時代区分は、「音韻」「文字」「語彙」「文法」に分けて考える論がある。

 まず、金田一春彦氏は、「音韻(アクセント)」で時代区分を試みられた。アクセントが変化する場合には、多くの語が一度に同じ方向に変化し、短期間にその変化が終ると考えられる事から、アクセントによる時代区分が可能とされた。その中で、京都語のアクセントとおぼしいものを取り上げ、平安末期以後、京都語のアクセントには、大きな転機が二度あり、ひとつは南北朝時代、もうひとつは江戸後期とされた。語義の区別に役立つメキシコ型アクセントから、一語のまとまりを示すギリシャ型アクセントへの脱皮を遂げてきたのだという。これは、どういうことかというと、語の意義の区別を表すという方は、段々音韻の方に譲り、一語一語にまとまりを与えるという機能、それを発揮する方向に進んできたものといえる。

 次に、乾義彦氏の「文字」による時代区分方だ。乾氏はまず、日本語の文字史にとって、もっとも大きな出来事が漢字との接触であった事に触れ、日本語書記の歴史を画するに、二つの大きな画期が考えられるとした。一つは仮名の成立である。そして、もうひとつは、比較的はっきりと分かれていた平仮名、片仮名と漢字が交用された、所謂和漢混交文の成立である。つまり、古代は漢字専用の時代、近代は漢字仮名交じりの時代と一応の規定をされた。さらに、この二つの基準によって生じるはざまを、仮名と漢字がそれぞれの場合によって使い分けられていた時代とし、移行期としての性格を持つ中世とされた。

 続いて、前田富祺氏による「語彙」での時代区分方である。前田氏は、語形変化、語彙体系の変遷、語種の観点から三区分方を採用された。文学史や政治史とほぼ対応する、古代(前期・後期)、中世(前期・後期)、近代(前期《上方語》《江戸語》、後期《近代語》《現代語》)に区分する。ただし、中世については、古代でもあり近代にもつながると考えてその間で切るか、古代に入れるか、古代でも近代でもない時代として独立させるかということであったが、変動の大きい時代は、それを一つの特徴と認めて一時代と考えたほうが良いという立場をとられた。ただし、現存資料の制約から考えると、このような特徴はあまりにも局部的なものでしかない。語彙史全体の史的方向性が見極めにくいというのが、かえって語彙史の特徴であると考えられる。

 最後に、森重敏氏による「文法」での時代区分方である。森重氏は、その時代区分を三つに区分され、第一の時代(古代)を、推古天皇の頃から南北朝末期までとし、第二の時代(中世)を、室町期初頭から徳川期明和年間までとし、第三の時代(近代)を、徳川期安永年間から現在までとされた。古代の上限を推古天皇の頃としたのは、国語が文字に定着した現在遡りうる限りのところとしたためである。また、古代の頂点的代表として、平安中期の三代集以下の和歌、源氏物語を中心とする物語に見られる係り結びの成熟と多様を指摘された。これらの特徴としては、主としての格が明瞭にされないこと(=主格の省略)、句と句の句格的関係が掴みにくいことなどがあげられる。さらに、第二の頂点ともいえる軍記物語、道行文をもって、古代的掛詞の成熟した形であると見ることができるとされた。中世を、室町初頭をもって始める理由は、謡曲と連歌とが、ここから実質的に興ったからである。尤も、これらの事実上は、南北末期から成立していたのであるから、南北朝末期を古代から中世への過度期と見てよい。さらに、所謂お伽草子の推定期に遡りうる上限が室町初期にあるからである。この時代の文法的特徴は、文における断続の関係と論理的関係とがいずれも不整に乱れているところにある。格の論理的関係のねじれた曲流文は、謡曲の詞章において成立し、近松の浄瑠璃によって成熟、完成を見、西鶴の浮世草子にも独自の文体として成熟した。これらは、断続の関係と理論的関係や、係り結びの関係の甚だしい乱れを見せる。西鶴のこのような破格の基盤は、談林の俳諧であった。室町期の連歌以来の俳諧自体が、断続の明瞭を欠くものであり、芭蕉の連句俳諧は、その正統的な成熟であった。近松西鶴芭蕉の元禄期をもって、文法史では、中世の代表的頂点とする。森重氏は、これらの破格は、文法史的に見て、中世という時代の常格として解釈すべきだと指摘される。また、この時代の乱れは、口語的なものから文語的なものに浸潤したことに基盤をもつと考えられる。さらに、近代の代表的頂点は、文語的な擬古的性格正調と、口頭語的な統一の運動であったとされた。

 このように、研究者の立場によって様々な時代区分方が存在する。私は、人間が日本語を時代区分するのは、より日本語への理解を深めようとするために行うものであるから、多種多様な時代区分が存在して当然だと思う。阪倉篤義氏が次のように書かれていたのが、非常に印象に残った。

「一は奈良時代人、一は平安時代人ということで、かれらの言語(音韻・文法・語彙など)が、奈良時代語と平安時代語とにきっぱりわかれていた、などと考えることは、できるはずのものではない」
という部分である。常に時間は流れているから、言葉は必ず変化していくものである。あるときは音韻が変化し、またあるときは文法が変化し、またあるときは語彙が変化した。その変化が同時に興るときもあれば、ある一部分でのみ興る場合もあったはずである。しかし、ある一部分が変化したからといって、全く意味が通じない別の言語というのはおかしい。奈良時代の人も、平安時代の人も同じ日本語を話していたのだから、少しの差異が生じても意味は通じたのではないか。そう考えると、時代を区分するということ自体がひどく無意味なことのように思えてきた。しかしながら、日本語の変遷を考えるということは、現在、我々が使っている日本語というものが、どのようにして今の状態に至ったのかを知る上で、非常に重要な意味を持っているので、これからも日本語の変遷について研究していかなければならないと思うのである。


参考文献
●阪倉篤義 「国語史の時代区分」(『講座国語史 一 国語史総論』松村明編 大修館書店 昭和五二年)
●乾善彦 「語彙史の時代区分・文字史の時代区分」(『国語語彙史の研究 二〇』国語語彙史研究会 和泉書院 二〇〇一年)
●金田一春彦 「古代アクセントから近代アクセントへ」(『国語学』二二 一九五五年)
●森重敏 「文法史の時代区分」(『国語学』二二 一九五五年)

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